なんにもないっていう状態。心をさぐる。

なんにもないっていう状態。心をさぐる。

『この人メンドクサイ。』

多くの人からそう言われてしまうタイプの方が
お気に入りだと紹介してくれたことで興味を持ち
手にとった本【心の底にみえたもの‐なだいなだ】。

著者名はスペイン語の
“nada y nada”(何もなくて、何もない)
に由来していて、
そんな意味深な由来からすでに彼の精神科医らしさ、
心理学者らしさを感じるのは私だけではないはずだ。

私は病院で主に運動指導のお仕事をしており、
その中で最も気に入っている事が
『人との出会い』である。

日々の出会いから多くを学ばせて頂いているが、
今回は特に、
統合失調症を抱えた方の推薦図書ということで
強い興味もち、久しぶりに即購入した。

病院に患者様としていらっしゃる方々との出会いを
有難いといえば不謹慎だろうが、
年齢、性別、生きてきた生活背景が
まさに十人十色で個々の歴史はいつも魅力的である。

実は、私が今回読んだのは
本当に読みたかった本の続編であり、
私はこの続編が先に手に入ったという理由だけで
こちらを読み始めた。
正直思っていたよりも学術的な要素が強く感じたけれど
人の心に興味がある人間にとっては面白い一冊だと思う。

さて、心理学と聞くと何を思い浮かべるだろうか。
鬱病?パニック障害?
おそらく何かしらの社会不適合者を想像し、
その周りの人間が対象者にカウンセリングを勧める
・・そんな情景が一般的に
心理学ないし精神科という言葉から
連想されるものなのだろうと思う。

自分が医療従事者だからなのか
彼が有名だからなのかはどちらでもよいが、
フロイトの名前は誰もが聞いたことがあるだろう。
この本の中で、なだいなだは
主に彼(フロイト)の精神分析・心理学を
専門用語を使わずに語ってくれている。

精神科医は、
患者の心をまる裸にしているように見えて
いつだって治療者の心が
真っ先に裸になっているそうだ。
そもそもアイデア・思考の源がなければ
患者の状態をみることは不可能だからだ。

実際、よく考えれば当たり前だが、
私たち(少なくとも大多数)は
それを意識できていないと思う。
この本はそんな考えればわかるのに
考えすらしないことに意識を向ける
きっかけをくれている。

また、自分探しの旅という名で
深く長期的に患者向きあおうとしたフロイトは、
ヒステリーが病理的に説明がつかないのにも関わらず
病気だと認めて治療に臨んだことや、
個人とその社会背景をヒステリー・神経症の
精神疾患の原因のひとつと認め、
社会問題にも目を向けたことで知られている
と著者は語る。

社会問題といえば、
社会で簡単に使われている「常識」が厄介だ。
『常識という無意識が人を動かしている』
なんて言われて、
誰がすぐに納得・共感できるのだろう。
そんな見えないものの話をしたら、
イカレタ人だと思われて
言葉に耳を傾けてもらえないの状況が想像つく。

ましてや彼の生きた時代は
宗教の色も強く
男女差別や人権問題も触れること自体が
ある意味タブーになっている頃なのだから
それに触れるのは勇気のいることだったに違いない。

今となっては、
個人の抱える精神的な問題には
いろいろな名前がつけられ、
見えない敵も受容されつつある
いい世の中になったとのだと思う。
トラウマだとか、自家中毒だとか、
なかなか都合のいい言葉もでき、
それらを耳にする機会も増えている。

フロイトをはじめ先人たちの努力が実ったのか
社会問題について躊躇せずに
意見交換できる時代になったとも思う。

しかし、
見えないものは意識が向けられないから
見えないままだし、
ヒトはやはり無意識をもとに行動している。
(潜在意識は本当に理解が難しい。。)

そうなると、根本的な人間の心や
その仕組みは変わっていないわけで
自分探しの旅というものは
時代関係なく存在し続けるのだ。

『人類が空気を吸わずには
生きて来られなかったのに、
空気の組成を
長い間知らなかったのと同じ』
と言われたら、しっくりきた気がする。

知ったからと言って何も変わらないかもしれないが
知ろうとしてこなかったこと自体の
気付きがポイントなのだろう。

ここまできて、
心理学書を読んだことを実感する。
見えない何かは常に面白いが
答えがないことが私を困惑させる。
ハッピーエンドの小説を読むのとは
まったくわけが違う。

すっきりするようなしないような。
本を読んで、考えて、
自分の人生をハッピーにしなければ
この本を出版していただいた苦労を
無駄にしてしまうのではないかと思う。

よし、最後に、
なだいなだでもフロイトでもなく、
ハインリッヒ・ハイネの口癖が書かれていて
印象的であったので引用させてもらうことにする。

『巨人の背中に乗って見る小人は、
巨人よりも遠くをみることができる』

この言葉の通り、
彼らの与えてくれていることをヒントに
さらに遠くを見つめ、
自分自身の見えていないものを
見えるように模索していきたい。