自分がわからなくなったときにも、感情が暴走した時にも5分で落ち着くかもしれない。

自分がわからなくなったときにも、感情が暴走した時にも5分で落ち着くかもしれない。

私は、瞑想って
「特別な人たち」がやっているもの
だと思っていました。

『スピリチュアルな世界の人が
何か見えないものと繋がるために
目を閉じて何かをしている。』

そんな理解をしていたからです。

しかし、そうではなかったんですね。
(スピリチュアルに偏見はありません。
誤解を招いていたらすみません。)

瞑想って、うまく使えば
誰でも、
自分の無意識を観察して
感情の暴走を制御することが
できるようになるんです。
(あくまでも私の意見です。

一応辞書も引いてみましたが、

瞑想とは
目を閉じて雑念を払い、
静かに思いをめぐらすこと
(明鏡国語辞典より引用)

という説明になっています。

私が参加したワークショップでは

意識が努力なしに一方向に向いている状態

といっていました。

まあ説明の仕方については
人それぞれの言い方や
認識の仕方があるのかなあと思うので
このくらいにします。

では、
なぜ私が瞑想に辿り着いたのか。

それは・・
「頭の中を整理したかったから」です。

私の場合はなんといっても
夫との離婚危機をきっかけに
自分の感情・思考と
素直に向き合うようになりました。
というか、
向き合わざるをえなくなりました。

最初は、
でどころのわからない不安や恐怖、
怒りや失望感など、
はっきりとした原因がわからない感情が
グルグルズルズル、
常に付きまとっていて
それに振り回されて苦しんでいました。

敵が何なのかもわからないので
成すすべなく
一日一日を乗り越えることが課題でした。

そんななかで

自分が幸せにならないと
何も変えることができない。

ということを学び、
【無意識の意識】
に注目するようになりました。

無意識に考えていることを
自分の都合の良いように変えられたら
そんなに心強いことってないですよね。

だって、意識しなくても
自分の進みたい方向に向けるんですから。

ただ、

じゃあ今日から日々瞑想だ!

といっても
やり方はほんとにたくさんあるので
どうしたらいいのか、
何が自分に合うのかは
正直わかりませんでした。
(今でも模索しています。。)

ですから、瞑想超初心者の私は

ただ同じ言葉を繰り返し唱える

この方法をとりました。

人によっては意味のある言葉、
例えば「ありがとう」や
「大丈夫」といった
俗にいうポジティブ言葉を唱えると良い
ともいいますが
私はあえて意味をなさない言葉や、
意味を知らない言葉を選び
(ヨガ マントラ 等でググって得た言葉等)
頭の中で唱えました。

※私の場合、意味を成す言葉だと
それに対しての感情・疑念が
生まれてしまうためやめました。

何度も何度も雑念が入りますが、
そのたびにもとの言葉に戻ります。

どんなことが浮かんだのか「観察」し
そこに感情をかぶせない様に意識します。

「無」になる努力はせず、
ただ「今」に集中して
ぐるぐると浮かぶ思考を観察し
そこに感情が入る前に呪文に戻ります。

自分なりの解釈で言えば、
感情がかぶってしまうというのは
いわゆる脱線状態で、
ひとつの言葉を唱えている間に
ポンと浮かび上がってくる
事象(誰が見ても同じ)に対して
自分の考え(自分の意識によって変わる)を
もってしまうということ。

なのでそうなる前に気づき、
唱えていた言葉に帰ってきて再開する。

それによって
思考と思考の「間」を埋めて
自分の「感情」に揺さぶられない練習をする。

そんな感じです。

これをやるようになって
すぐに何かが凄まじく変化した
といったことは正直ありません。

しかし、

感情に流される前に
思いとどまることができるようになった

と感じています。

始める前までは気付きもせずに、
思考も感情もごちゃまぜのまま
もがいていましたが
少しずつ区別が出来るようになると
私の戦う相手が見えてきました。
(結局は自分なんですけどね。)

不安も恐怖も怒りも
どこからでてきたのか
追及することができるようになり
解決の糸口となったのは
間違いありません。

瞑想そのものが
私の問題を解決したわけではないので

これをやれば全てうまくいく!

とは言えません。

それでも
問題が何かも分らない状態から
抜け出すための手段にはなります。

考えすぎて分らなくなったときに
原点に返る手段になります。

5分、10分でも
効果があると実感しているので
是非やってみてください。