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昭和一桁、先輩から学ぶ「やる理由」

昭和一桁、先輩から学ぶ「やる理由」

私が今の仕事が好きな理由のひとつ。
それは、【昭和一桁】の時代に生まれた先輩と
生の会話ができること。

理学療法士
病院勤務
老人介護

そんな印象を持つ人も多いだろうし
「老人相手に大変だねって」
声をかけられることも多々あるのは事実。

老人介護とリハビリの違いについては
ここではいちいち説明しないけど・・・。

とにかくね、その辺歩いてて
ばったり会ったおじいちゃんおばあちゃんに
そう簡単にどう生きてきたのかって
人生語ってもらえることって
あんまりないと思うのね。

というかそもそも、そんな話に
興味も持たない人が多いのかもしれないし。
初対面で突然インタビューもできないしね。
だから(?)私は仕事しながらも
生の話がきけることを貴重だと思っているし
なんだか本を一冊読んだような、
映画を一本見たような、
そんな感覚が好きなんだよね。

結局は【戦争】を経験した人が
当時何を考えていて
どうやって生きていて
今のこの時代に何を思ってるんだろうって
そういうことなんだけど。

なんていうのかなー。

『なんにもなかった』時代の
独特の美しさってあると思うのね。

こんなこといったら怒られると思うけど
今はなんでも ある時代 。

生きるために半日歩いて
食べ物を手に入れて、
重い農作物を背負って
同じ道をまた歩いて戻る・・
要はまる一日歩く!

単純な一例だけど、
そういうのって想像も難しいのが本音なのね。

『我慢したんじゃないよ、
 それしか選択肢がなかったんだから』

最近話してくれた方はそう言っていた。

『辛かったけどそれが普通で
 兄貴に助けてもらって頑張れたんだ。』
って笑顔だったんだよね。

いつも戦争の話を聞くときは
少し申し訳ないとも思ってるんだけど
それでも少しつっ込んじゃう。

でね、今までその話題がイコール
<大変だった・苦労の話>って定義してたから
だからなんだか悪いかなって思ってたんだけど、
それは私の勝手な解釈だったのね。

今回のその人にとっては
当時の<お兄ちゃんと助け合った思い出>
として残ってた!
しかも、
聞いてくれてありがとうって
言ってくれて。

『ありがとう』っていってくれる人って
意外にも多いんだよね。
全ての人がそうじゃないことは承知だけど
戦争の話が必ずしも
思い出したくない辛い過去の経験談
ではないことがよくわかる。

『あんなもん二度とあっちゃいけないけど
 あんな中でも生活した自分は
 よくやったと褒めるし忘れないね。
 今の子はなんでもやったほうがいいよ。
 できるんだからね。』

もうね、ほんっとにベタなんだけど
一連の会話のなかで
こんなことをさらっと言われたら
グサっと刺さるわけ!!!

彼らのいう、
踏ん張る強さやら底力って
桁が違うと思うんだよね。

私、生きるために
何かを必死にやったことないと思う。

・・・。

あ、
元旦那から暴力受けた時から
離婚を決意するまでは必死にだったか。笑

っていうか、
これを書いてて自分に驚いたけど
忘れてるよね!自分の<辛い過去>!

プラスにとらえれば、
あの頃に関して、悲観的じゃない意味づけして
受け入れられたってことかな?
もう辛い過去じゃなくて
起こるべくして起きた学びの時期だった
っていうふうに書き換えできたってことかな。

なんか複雑なんだけど
ちょっと嬉しい。笑
つい脱線。笑

だけどこれもこの日記を書いているからだよね。
やっぱ文章って書くべきなんだなー。

・・・って話を戻して、
要は、なんでもやらなきゃ阿保だアホ!!

ってことと

他人から見た<辛い環境>も
その中の人にとっては<幸せを感じられる環境>
であることに違いないってこと。

捉え方・視点次第。

無いものに注目してちゃ
有るものも見えないよね。

いつもどの時代も絶対に
自分を笑顔にしてくれる何かはあるんだ☆

ってことで
全然まとまってないけど、ここまで♪

今日もありがとー!